☆3回目の手術日【5月24日】★☆ピンクリボン★ ☆3回目の手術日【5月24日】★ 前日、両親と鹿児島へ行って入院。 何も悲しくないのに、看護婦さんや周りの人と話をするだけで、涙が出て洪水状態だった。 手術当日・・・“デッサンをしますから”と診察室へ呼ばれた。 黒マジックで、胸の位置を書かれた。(パックに入る食塩水の水の量を測る為に、石膏で胸の形をとった。 午後に手術室へ。手術室では、クラシックが流れていて手術の担当の看護婦さんが“大丈夫ですからね”と言って麻酔がかかるまで、手をにぎってくれていた。 意識が戻る頃に、口に入っている管をとるから違和感があるよと聞いていた。いやだな・・・意識がないうちに抜いて欲しいと思っていた私。 意識がないのに、管を抜く時に上半身が起き上がって“まだですよ”と言われた時に、少し意識が戻った。 手術をした日は、熱は出るし気分が悪くて吐いたりしたり、寝返りが出来ず、足のかかとと腰が痛かったけれど、次の日からはとても退屈な回復室だった。 皮膚が弱かった為に、手術の後に貼ってあったテープに負けてしまって、水泡がたくさん出来た。 起き上がる事も出来なくて、見れなかったから手で触ったら水泡がつぶれて 痛かったなぁ・・・(;_;) ドレンが、取れるまで首からポシェットを下げて歩かないといけないし、シャワー(上半身浴)が大変だった。 朝は、鉄板が胸の上にのっているみたいで起き上がれず、30分かかって起き上がっていた。楽に、起きる為にベットの頭の部分を立てたまま寝たりしたけれど、夜中に体制がくずれたり、首が痛くて何度も目が覚めたなぁ・・・(^_^; 同時再建だった為に一日2回マッサージ(略してチチマ)を看護婦さんにしてもらっていたけれど、肋骨が折れそうなぐらいな力で、とても痛かった。(今は、チチマはしなくても良くなったみたい。) ☆ろっかん神経痛★ ドレンが取れた頃、以前に入院していた仲間がお見舞いに来てくれたから、 狭い個室で5人で話をしていた。 “なんか圧迫を感じるな・・・”と思っていたら、手術をした胸の下辺りが痛くなった。 痛くて、身動きも出来ないし、息をしてもひびくし、話す事も出来かった。 “何だろう・・・?異物反応を起こしたのかな・・・?”と思いながら、楽になるのを待った。 痛みが、少し楽になった時に話していた仲間に“胸の下が痛い”と言ったら、“早く部屋へ帰って、ナースコールをしなさい”と言われた。 部屋へ帰ってナースコールをしたら、看護婦さんがすぐに来てくれた。 事情を話すと、“ろっかん神経痛ですよ。気にしていたら、くせになってまた痛みが出るので、気にしないようにして下さいね。痛み止め(飲み薬)を出しますね~”と言っわれて、痛み止めを飲んだ。 “くせになるのは、嫌だ”と思って、忘れるようにしたせいか、その後ろっかん神経痛になった事がない。 くせにならなくて、良かった。 |